室井オレンジANIMATION!

『マンガをはみだした男〜赤塚不二夫』2Dアニメーション演出と制作。

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『マンガをはみだした男 赤塚不二夫 2Dアニメーション制作秘話』第一回:武居俊樹さんについて

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今日から2回に渡り、アニメーション×ドキュメンタリー映画
『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』2Dアニメーション制作秘話を掲載したします。
文章の監修には株式会社グリオ様のご協力を頂きました。感謝いたします。

それではこちら!

映画『マンガをはみだした男〜赤塚不二夫:2Dアニメーション制作秘話』

第一回:武居俊樹さんについて

 僕は小さい頃からマンガやアニメが好きな子供で、絵やイラストを描くことが唯一の取り柄でした。ただそれまで、赤塚先生の直接的な影響を感じた事、積極的に赤塚作品に触れる事はなかったんです。僕らがティーンエイジャーの頃のスーパースターは吾妻ひでおや大友克洋や江口寿史などの先生方であり、赤塚先生はその1つ前の世代の、すでに大御所的な存在でした。だから最初は赤塚不二夫に対する理解を深めるところから作業を開始しなくてはなりませんでした。

 映画製作がまだ正式にスタートしていない頃に、坂本プロデューサーからレッツラゴンの漫画などの関連書籍、そして多くの関連映像を渡されました。ですが正直、最初に読んだレッツラゴンのギャグは思い入れのない僕にはかなり難解なものでした。(笑)

 それらの資料の中でも、僕が最初に面白いなと感じたのが、当時赤塚先生の担当をされていた元小学館の編集者、武居俊樹さんの書かれた赤塚先生の伝記「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」でした。

 その本の中には、武居さんご自身が編集者として赤塚先生と一緒に創作された漫画「レッツラゴン」という唯一無二のアヴァンギャルドコンテンツの事、その頃の先生の超絶破天荒な逸話、その他にも先生の人生で次々と起こる喜劇や悲劇、創造と破壊、ワーカホリック、世間しらず、そして唯一無二の天才として、など、先生の人となりがわかる内容が、いろんな角度から記してあったんです。これほどの濃い体験をした日本人がいたんだ!と、僕はまずそのあまりにも波乱万丈な人生に驚かされました。

少し話が変わりますが、赤塚先生が満州生まれだった事も武居さんの書かれた本で初めて知りました。実は僕の父も満州生まれの引き揚げ者で、僕がまだ小さい頃、広大な満州の風景や過酷な戦後のエピソードなどをよく聞かされてました。おかげでクロニクルアニメの満州編はすぐにイメージが固まり、その冒頭のカラスの大群などは、坂本プロデューサーのアイデアを聞いた瞬間、具体的なイメージが頭の中に出来上がりました。

 作業が進むにつれて、当時の関係者の方々を中心に多くのとれたてインタビュー資料が渡され、僕は作りながらだんだん、赤塚先生が周りから愛される人だった事に気づかされました。もちろん武居さんも赤塚先生を最も愛した人の1人だった事は間違いありません。

後半作業の追い込みが超絶すごかった時に、僕は武居さんのテキストに出てくる赤塚先生のエピソードを頭に浮かべて、赤塚不二夫なら自分の伝記映画をどう作るか?ってことを自然に考えるようになってました。それで乗り越えられた事も数え切れないほどありました。

 そして、最初の試写会の時、僕は武居俊樹さんを会場で見つけたのです。

 映画が終わった後、同行してた妻に相談して武居さんに話しかける事にしました。とてもドキドキしながら。(笑)

 そして満面笑顔の武居さんから3つのご感想を頂いたのです。「とても感動しました」「アニメがよく出来てましたね」そして「君は僕の書いた本をよくお読みになったでしょ?わかりましたよ」。

 僕は武居さんからこのお言葉をいただいた時初めて、赤塚世界の住人になれた気がしました。やってよかった!と感動でいっぱいになりました。

室井オレンジ:2016年7月16日



以上、次回は『エンディングについて』です!
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