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室井オレンジANIMATION!

『マンガをはみだした男〜赤塚不二夫』2Dアニメーション演出と制作。

『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』アニメーション制作秘話【第3回:最終回】

赤塚不二夫ポレポレ上映初日

『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』アニメーション制作秘話

第三回:赤塚不二夫先生について

今回も本映画制作会社株式会社グリオ様に監修をお願いいたしました。厚く御礼申し上げます。
それでは!




アニメーション×ドキュメンタリー映画『マンガをはみだした男 赤塚不二夫』制作秘話、一旦第二回で終了の予定でしたが、僕自身がなんとなく納得いかない。まとまった気がしない!そんな状態が続いておりまして。

いろいろ考えた挙句思い当たる理由が二つ見つかりました。

理由その1、第一回「武居俊樹さんについて」も第二回「エンディングについて」も僕個人の苦労話とラッキー話が主で、内容がウエットすぎる!(笑)

理由その2、映画の主人公である赤塚不二夫先生がこの制作秘話においては脇役じゃないか!室井オレンジは赤塚愛が足りてないんじゃないか?と。

いやいやいや、そんなことはないはずです。

ただ、赤塚不二夫先生をストレートに語ることは今までの僕にとっては大それた話だったし、正直赤塚不二夫先生の実績の本当の凄さ、その人となりの真の素晴らしさを文章で表現できるなんて思ってもいませんでした。

ただこの1年半、僕は映画制作を通じて赤塚不二夫先生のアシスタントのように振舞おう!と心に決め、先生の人生をアニメーションに起こす作業をしてきたわけです。

そんな貴重な経験を誰しもができるわけがありません。それだけで十分ラッキーボーイな訳です。

そんなラッキーボーイが赤塚不二夫先生についてちょいと語るのって、それ結構意味あるんじゃないか。。やっとそう思えてきました。

前置きが長くなりましたが。



______



この制作秘話第一回目で書いたように、僕は子供の時、赤塚マンガの直接的な影響を感じたことはありませんでした。

一読者としても、僕が将来なりたかったアニメやマンガや現代アートの大先輩クリエイターとしてもです。

僕が小学生の頃の1970年代中期には、赤塚不二夫も手塚治虫も藤子不二雄もご存命ながらすでに神のような大御所様でした。

そして中学生となり、まがりなりにもクリエイターを目指す早熟のヤングには、そんなドメジャー作品を逐一チェックする余裕も時間もなく、また田舎のピニオンリーダーの役割としても、マンガ奇想天外やガロなどのラジカルな雑誌から、大友克洋、ますむらひろし、坂口尚、高橋葉介、高野文子、蛭子能収、根本敬などの当時精鋭的な先生方を発見することに余念がありませんでした。

当時の世相の影響もあると思いますが、僕らにとっては新しいものが絶対的正義だったのです。

それに赤塚不二夫先生には、二日酔い状態でテレビのバラエティー番組にたまに顔を出す、「かなり出来上がったおっさん」のイメージが正直拭えませんでした。

ごめんなさい!!



もう少し自分のことを書きます。親父が田舎の美術教師だったせいで、僕の家の書棚にはミケランジェロ、尾形光琳からデュシャン、草間彌生やウォーホルに至るまで、その当時の田舎の家庭としてはかなり珍しいほど多く古今東西の画集や洋書並んでいました。

僕は、漫画もそうですがそう言った親父の画集を読み漁り、そして絵を描き、小学校高学年の頃には、何が何でも現代アート作家や漫画家といったクリエイティブな職業に就きたいと強く思うような、いわば自己表現を将来の職業としたい、純粋アートオタク少年だったのです。



今思えばその出発点が、赤塚不二夫先生と僕の人生を比較した時の、50歳時点での、目的達成度の大きな格差へとつながるのです。



赤塚不二夫先生の幼少期の場合はどうでしょう。

この映画のアニメーション制作の過程で、赤塚不二夫先生の満州での人生の始まりを知りました。

それは、僕の幼少期とは比べ物にならないほど過酷な状況での冒険に満ちたもの。

満州から始まる赤塚不二夫先生のサバイバルの中、少年ギャング仲間内での立ち位置(ポジション)、子供同士のコミュニケーション、飢えをしのぶ方法、それこそ畑荒しなどある時は法律の枠を超えて繰り広げられる遊びと闘争の経験で、先生は自分が生きることの術を自然と身に付けられたのでしょう。

大人になった先生が、周囲の方々にとことん気を遣い、身内を巻き込み、仕事にチーム制を導入し、先生ご自身もワーカホリックで、徹底的に読者(ユーザー)のニーズを考えたこと(例:高井研一郎さんとのイヤミというキャラを生み出す過程、ニャロメと当時のはやりものでもある学生運動との共謀関係など)は、こう言った過去の経験から得たものであることは容易に想像がつきます。



そしてさらに、赤塚先生にはこう言った「ユーザー視点」という発想の他に、もう一つの視点があります。それが「クリエイター視点」。

大の映画好きだったことが、この映画を作っている最中、いくつもの逸話や証言の中から伝わってきました。

実際にアニメや映画制作にどっぷりはまった手塚治虫先生、大友克洋先生をはじめとして多くの漫画家は映画好きを公言しています。

赤塚不二夫先生またそうであった。



辛い貧乏時代、先生の心を癒すエンターテイメントがマンガと映画だった。

先生は画集や美術の授業などの学術的な情報としてではなく、漫画作品や映画を観て、良い作品に触れる中で、何が面白いか、どういったクリエイティブ(創造物)が人を魅了するかを、実践的に習得されたのではないでしょうか。

それはおそらく、あまねくクリエイターと呼ばれる人たちが勘違いしがちな「自己表現としてのクリエイター視点」ではなく「実践的なクリエイター視点」とでも言えるものだと思うのです。



結論を書きます。

先生が先生と成りえた要因である『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』『もーれつア太郎』『天才バカボン』などの連続ヒットを生み出し得た理由は、ご経験の中で、上記の「徹底的なユーザー視点」と「実践的なクリエイター視点」の二つを持ち得た稀有なクリエイターであったためだと僕は思います。

ただ反面、アバンギャルド漫画『レッツラゴン』以降の先生は、アルコール中毒というわかりやすい例が表すような、精神的な苦労を背負いこまれます。

その原因もまた「ユーザー視点」と「クリエイター視点」という、なかなか相容れない二つの考えの”もつれ”が元ではないか。。とも思うのです。

最近の深夜TVアニメ『おそ松さん』の大ヒット現象が表すように、赤塚不二夫先生が後世の漫画やアニメ文化に与えた影響は計り知れません。



普遍的なコンテンツメーカーであるには、先生のような二つの視点を持ち、さらにエンターテイメントという仕事に恭順する覚悟が必要だ。

少し大げさかもしれませんが、最近僕はそんな風に思うようになりました。



この映画の制作作業が終わり、しばらく経ちました。

僕の中での赤塚ロスもそろそろ終了しようとする今、冒頭書いたように、今までの僕自身の制作志向が、オタク志向「自己表現としてのクリエイティブ視点」に傾いていることに僕は気づかされました。それは赤塚不二夫先生に対しての大いなる敗北感、と言ってもいいものです。

それでも、僕は今回のアニメ制作を通して、それに気がつくことができた。赤塚不二夫から大事なことを教わったのです。

今までの考えをちょっとずつ修正しまだまだ頑張ろうと、僕は心に誓っています。



赤塚不二夫先生は、その生い立ちからしてまさに「天才」です。

作家としての先生の有り様は、正しいクリエイターのあり方だと僕は強く思います。



赤塚不二夫先生、いろんな教訓を本当にありがとうござました。

そしてリスペクト、「天才」赤塚不二夫。

2016年9月17日:室井オレンジ
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